第一次世界大戦停戦記念日

気がつくと死んでいた。心臓を鉄パイプが貫いて、周りに血の池が出来ていた。自立すると、鉄パイプは抜け落ち、そこから血が流れることはなかった。どうやら上手に血抜きされてしまったらしい。

あたりを見回してみると、片手を失った男や顔面がめくれ上がった女、内臓の飛び出した老人が徘徊しており、この世の終わりかという有様だった。両手足がもげて岩に挟まっている男が目についたので声をかけてみたが、うううと唸ってばかりで返事はもらえなかった。男を見つめながら、私は、とりあえず五体満足で良かったなどと詮無いことを考えていた。

道行く死体に声をかけ、襲われては胸を貫いていた鉄パイプで懲らしめて歩いていく。暫く進むと、ぽつりと一軒家が見えたので近づいてみる。玄関は鍵がかかっていたが、家をぐるりと一周すると窓が割れていたので、ごめんくださいなどといいつつ中に入る。

リビングと思わしき部屋には一匹の猫と、白目をむいた老人がソファに座っていた。猫がこちらに近づいてくる。腹がえぐれてピンクの臓物が見えてしまっている。爪は伸び放題で、犬歯も妙に大きい気がする。引っかかれたり甘噛みされたが、痛いのでやめてほしい。老人を見れば、やはりうううと唸り声を上げている。猫を脇に抱え、老人に近づいてみる。上を向き、口を開け、白目をむいて脱力している。体に欠損はないが、私とは違うようだった。

私は、この老人を不憫に思い、楽にしてやることにした。猫を追い払い、鉄パイプを構える。頭を打ち付けると、両手足をじたばたと暴れさせる。二度三度繰り返すと、ぐしゃりとした感触があり、老人は動かなくなった。そのとき、背後から物音がした。振り返ると、キッチンのそばに包丁を持った青年が立っていた。「ゾンビか」ぎくりとする。

「やあ」「悪いが、おじいさんは斃してしまったよ」妙に口が回る。「平気かい、怖かったろう」「もう大丈夫だ」ないはずの心臓が高鳴っている気がする。「君はどうやら無事のようだね」「僕は大丈夫だ、君に危害を加えたりはしないよ」青年の瞳が私の全身をなぞる。

「それで、君は僕を殺すのかい」

「いや」そっと胸をなでおろす。どうやら話を聞いてはくれるようだ。

「猫を捕まえてこなくちゃ、僕はどうやら平気だが、あの猫も人を襲わないとは限らない。連れて行くことにするけど構わないね」

「ああ」

「それで、どうするんだ」青年が問いかける。

「そうだな、この街には居られないから、外の様子を見てくるよ。いっそ大陸へ出て世界を旅して回るのもいいかもしれない。もう、飲まず食わずでも平気そうだしね」

「そうか」どうやら想定していた返答とはやや異なったようだ。私自身、死んでしまったことと受け入れられた幸運から少々奇妙な心持ちになっているのを感じた。

「よければ、上着をくれないか。この格好では流石に怪しい」

逡巡した後、青年が来ていたジャンパーを投げ渡す。着ているものを取り上げるつもりはなかったのだが、くれるなら貰おう。

その後、家の奥に居た青年の母とその従姉妹の小母に会い、おじいさんを介錯したこと、ゾンビの猫に懐かれてしまったこと、ここに置いておくのは危険なため連れて行くことを話した。彼女たちは私が死んでいることには気づかなかったようだ。

猫を胸に抱き青年の家を出る。私は、顔色で怪しまれないのは助かるな、と思った。

骨と関節の日

今日は技術同人誌即売会に行ってきた。2016年6月から半年に一度程度行われている同人誌即売会で、私は第2回から、今回で4回目の一般参加になる。回を重ねるごとに参加者数が増加し、今回から会場が秋葉原UDXから池袋サンシャインシティに変更となった。技術同人誌ということで、その人が調べて身につけた知識を書籍化し、それを参加者で共有する。わたしは頒布したことがないため、ここでは知識を分け与えられてばかりである。また、単に技術知識を得られるだけでなく、その時の技術トレンドをジャンルの盛況具合で感じ取ることができるのも、このイベントの醍醐味であると感じている。半年に一度のイベントだが、毎回少しずつトレンドが移り変わっているのを熱量で感じることができるため、なかなかに貴重な機会である(ただし、このトレンドが自分の業務に連動するかというと、そうではないところが悲しいところ)。

技術書、といえば、ずいぶんと書籍を未読のまま積み続けている。以前作った未読の所蔵リストには80冊程度はあったはずだ。半分は技術書、半分は小説で、そのうちの半分がSFくらいの割合。今日入手した本を合わせると100冊を超えそうだ。だいたいのものに対してそうだが、私は購入してそこで満足して放置する悪癖がある。本もそうだが文具や調理器具、電子機器にゲーム、果ては食品なんかもそうだ。なんというか、買ったときのまま飾っておきたい、しまっておきたい気持ちが湧いてきてしまって、そのもののために棚や配置スペースを用意したり、本棚なり机の引き出しなり冷蔵庫なりにしまうととてもいい気持ちになって満ち足りてしまうので、品物の本来の価値が発揮されずにある状態が多々発生する。このような身にならない癖はあらためて、良い習慣を身につけるようにしていきたい。そのためにもまずは今回買った本をちゃんと読もうと思う。

即売会会場について、正午まえから入場待ちの行列に並び、40分ほどで会場入り。おおむね1時間ほど会場をまわり帰宅。いったいいくら使ったのかは恐ろしくて確認していない。後払いシステムを利用したため、後日どれほど請求が来るか。しばらく不安で眠れない夜を過ごすことになるだろう。

登山の日

これはまだ私が自立したての頃の話だが、自炊というのはかくも楽しいものかと夢中になっていた。

仕事帰りの電車で献立をネットで調べ、スーパーに寄ってレシピの食材を買い込み、両手に抱えた買い物袋を持って帰宅すると、タブレットで料理動画を確認しながら調理した。うまくいったときには自分の腕を褒め称え、失敗したときにはひどく落ち込みながら何度も動画を見返した。夕食は私のためだけのエンタメだった。朝になれば夕食の仕込みをし、昼になれば会社近くのランチで新しい料理の開拓を行った。そして夜はトレーニングの成果を確かめるアスリートのように腕を奮った。最初は拙い一品料理ばかりだったが、次第にレパートリーが増え、レシピの手順を実施するために調味料や調理器具を揃え、それに伴い食卓が豪華になっていくのが楽しかった。

そんな日々の中でも最もよく作ったものといえばパスタソースだろう。一品料理としてよし、サラダをつけてもよし、主菜に肉料理や魚料理を出してもよしのいつでも出せる料理としてパスタがあり、また献立に応じて様々な種類から選ぶ楽しさがあるのがパスタソースだった。

はじめに自作するようになったのはカルボナーラだ。卵、ベーコン、チーズ、黒胡椒のシンプルなソースは、その簡単さに比して濃厚で満足感の強いソースだ。パスタの茹で加減に失敗しなければいつでもうまい。5mm幅に切ったベーコンをオリーブオイルを敷いたフライパンに投入し、焦げ目がつくまで焼き上げたあと、火を止めてフライパンを冷ましておく。パスタを茹でている間にボウルに卵、パルメザンチーズ、黒胡椒を入れ、混ぜる。あとは茹で上がったパスタの水をよく切ってフライパンに入れ、ベーコン、ソースと弱火で絡めて完成。非常に簡単だ。カルボナーラ一品だけのときは、ベーコンを厚めに切っておくと食いでがあっていい。調子のいい時はトマトとモッツアレラチーズのカプレーゼやジャガイモとナスのオーブン焼きなどを作って一緒に食べたものだ。

次によく作ったパスタと言えばペペロンチーノだろうか。よくやったのは秋刀魚缶を半分ほど入れる秋刀魚のペペロンチーノ風だ。缶詰は使いやすいという悪習を身に着けてしまったのもこの料理のせいだ。軽く潰したにんにくをオリーブオイルの海でじっくり揚げるように炒め、鷹の爪を輪切りにして入れたその油とパスタの茹で汁乳化がうまくいくよう祈りながら混ぜ合わせ、火を止めたら手早くパスタを絡めてさっと皿に盛り付ける。秋刀魚缶はそのままでもうまいので最後にほぐして和えるだけだ。にんにくがあまり得意ではないので、オリーブオイルでにんにくを炒める工程はやったりやらなかったりした。どちらがうまいかは未だ決めかねている。

ボロネーゼはやや気合が入ったときに作ったパスタだ。パンチェッタの油の中でソフリットを炒め、別のフライパンでひき肉を固まりにして焼いたあとは、それらを合わせてワインでひと煮立ちさせたあと、トマトペーストを入れて弱火で20分ほどじっくり煮込む。茹で上がったパスタの上に煮込んだそれを載せた料理は豪快な見た目となるが、濃縮された旨味と脂の甘みがたまらない。種はそのまま肉料理としても行けるため、なんちゃってハンバーグとして翌日に食べたりもした。

他にもいろいろ作ったが、やはり一人暮らしの自分のためだけの料理、さっと作れて美味いパスタをよく作っては食べていたように思う。

今となってはまるで嘘のような話だ。(今日の夕食はキユーピーのあえるだけパスタ)

ギニア独立記念日

部屋を出るとムンの明かりが眩しく、星が見えない夜空が広がっていた。秋口の風が心地よい。

しばらく歩き、普段通いしている昼夜皆営業の定食屋へ入る。入り口すぐに設置された注文システムにコインを入れると、ディスプレイに明かりが灯り、トークン分で注文可能な料理の一覧が画像つきで表示される。そこから牛焼肉定食を見つけると、他の料理には目もくれず、ディスプレイの画像をタッチして選択した。私はこれ以外の料理を頼んだことがない。私は牛を知っているし、牛がうまいことも知っている。酔った勢いで無謀を行ったのだろう、入口の脇に転がっている外国人を見れば、一体何が入っているのか見当がつかない他の料理など恐ろしくて、新規開拓に挑戦する気にはなれない。

カウンターに向かうと、外国人の調理師兼ウェイターが注文の品を運んでくる。おまたせいたしました、と辿々しい声掛けに、ありがとう、と返す。真っ黒で飛び出した、瞳のない眼球はどちらを向いているかわからない。

薄く切った牛の肉と虫の卵の丼をかきこみながら先程のやり取りを思い返す。システムに入力した時点で半ば完成しているのだからこちらは待ってはいないし、あちらもマニュアルに従って発声したのみで、言葉の意味を理解しているかも怪しい。外国人の発声の器官がどこにあるかも私は知らない。

ごちそうさま、と言い席を立つ。店の入口をくぐり、扉が閉まろうかという頃、店内から甲高い声で、ありがとうございました、と聞こえてくる。

転がる外国人をまたぎながら先程のやり取りを思い返す。不格好で機械的なやりとりではあるが、カウンター越しに目が合ったその時、そこにはたしかに思いやる心があった気がした。

デザインの日

台風25号が列島を通過して一夜、インターネットに各地の被害の映像が流れる朝となった。

東京に住みだして3年半、これだけ天候が荒れたのは初めてのことだと思う。並木が倒れたり看板が吹き飛んだり、シャッターが破壊されているところもあったようだ。都内で一番の話題といえば電車が運休または遅延していたことだろうか。出勤時刻には運転再開し始めていたが、入場規制で駅は大変な混雑となっていたようだ。しかしただ風が強いだけの夜だったなと、大したことがなかったな、まあこんなものかという感もある。

気候といえば今日は30度まで気温が上がるそうで、すでにかなり暑い。SNSには「なぜ台風の後には気温が上昇するのか」というお天気キャスターの解説が流れてきていた。どうも台風の回転と移動方向が、台風が過ぎ去ったあとに南風を呼んで暑くなるそうだ。なるほど理にかなっているように思う。

窓から差し込む眩しい空の青さが部屋の床に反射して、ここからでは天気がいいことがわかるだけだ。今日は病院に行く日だから、どうにか部屋から出るようにしないといけないが、暑いのならなおさら億劫だ。

昼食を取り向精神薬を飲む。日が高くなり、日差しが差し込まなくなったいつもの暗い部屋の中でSNSと動画サイトをぼうっと眺め続けている。室内の気温もずいぶん高くなってきて、平成最後の夏が息を吹き返したようだ。

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目が覚めると、深夜だった。どうやら病院の予約を入れ直さないといけないらしい。患ってから、寝食すらままならない。夏は呼吸を止め、秋の気配がした。